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横浜地方裁判所川崎支部 昭和44年(ヨ)220号 決定

債権者 紙屋源太郎

右代理人弁護士 陶山圭之輔

同 三野研太郎

同 横山国男

同 木村和夫

同 陶山和嘉子

同 宮代洋一

債務者 旭硝子株式会社

右代表者代表取締役 山下秀明

右代理人弁護士 田中治彦

同 環昌一

同 西迪雄

同 田中和彦

同 大類武雄

主文

一、本件仮処分申請を却下する。

二、申請および審尋手続費用は申請人の負担とする。

事実

第一、債権者の申立

一、債権者が債務者に対し、雇傭契約上の権利を有する地位にあることを仮に定める。

二、債務者は債権者に対し、昭和四四年七月二日から本案判決確定まで毎月二五日限り金三〇、五八七円を仮に支払え。

との裁判を求める。

第二、申請の理由

一、債権者は、債務者の作業員(本工)募集に応じてその面接を受けた後昭和四三年六月八日に採用され、約三か月間の試用期間を経て同年九月二一日本採用となり、債務者の川崎工場において作業員として労務に従事してきたところ、昭和四四年七月一日債務者より懲戒解雇の通告を受けた。右懲戒解雇は、債務者会社の社員就業規則一八一条一六号に該当する経歴詐称の事実があるとして、同規則一八二条二号にもとづいてなされたものである。

二、しかしながら、右の懲戒解雇は、次の理由により無効である。

(一)  債権者について、前記就業規則一八一条一六号に該当する経歴詐称の事実は存在しない。債権者が高校卒業後、昭和三九年四月神奈川大学法学部に入学して昭和四三年三月これを卒業したことは債務者主張のとおりであるが、債務者は、債権者の採用に際し、その募集広告においても、また採用のための面接においても、学歴が採用の条件であることを明示するところがなかったので、債権者としては、作業員の性質上大学卒の学歴を申告する必要はないものと考えて、身上調査表にこれを記入しないで提出し、面接担当者からもこれについて格別の質問がないまま面接を終ったにすぎないから、これを捕えて学歴詐称ということはできず、また債権者は大学在学中および卒業後父の家業である木箱の製造、修理を手伝っていたので、身上調査表に昭和三九年四月から同四三年五月までの職歴としてその旨記載したことに偽りはない。

(二)  仮に債権者に経歴詐称の事実があるとしても、もともと対等なるべき労働契約関係において使用者に労働者に対する懲戒権を認むべき根拠はないのみならず、右の事実は、労働関係成立前の債権者の行為である点からして、債務者の懲戒権の対象とはならない。

(三)  仮に、債権者の経歴詐称が債務者の懲戒権を対象となるとしても、右の経歴詐称は、債権者が大学卒の学歴を高校卒と低く詐ったにすぎず、また債権者は採用後債務者会社川崎工場において、作業員として真摯、勤勉に労務に従事し、この間債務者に対して何らの実害を与えていないのであるから、右の経歴詐称を理由に債権者を懲戒解雇するのは、解雇権の濫用である。

三、債権者は、債務者より毎月二五日限り平均金三〇、五八七円の賃金の支払を受けてきたものであるところ、債務者は昭和四四年七月二日以降解雇を理由にその支払をしない。

四、債権者は、債務者より支払を受ける賃金のみを生活の資とする労働者であるから、雇傭関係存続確認の本案判決の確定をまっていては、その生活は破綻を免れない。

五、よって、債務者に対して、債権者が債務者との間の前記雇傭契約上の権利を有する地位にあることを仮に定め、かつ昭和四四年七月二日から本案判決確定まで毎月二五日限り金三〇、五八七円の平均賃金相当額を仮に支払うべき旨の仮処分命令を求める。

第三、答弁

一、申請の理由第一項の事実は認める。

二、同第二項は争う。

(一)  債権者は、債務者の募集に応じて採用の面接を受けた際、高校卒業後昭和三九年四月神奈川大学法学部に入学し同四三年三月これを卒業しているにもかかわらず、右事実を秘匿し、その間父の家業の木箱の製造、修理を手伝っていた旨の虚偽の経歴を身上調査表に記入して提出し、かつ面接担当者に対して同旨の経歴の申述をした。債権者の右行為は、債務者の社員就業規則一八一条一六号の「採用のときに虚偽の陳述を行ない、または虚偽の履歴書を使用したとき」に該当するから、債務者が同規則一八二条二号にもとづいてした本件懲戒解雇は有効である。

(二)  債務者は、債権者を債務者の川崎工場において勤務する作業員として採用したものであるところ、作業員については、その作業の性質、他の作業員または管理者の学歴との権衡等を考慮して、これを高校卒業者以下の者に限って採用する方針であったから、債権者が就職にあたり真実の学歴を申告していれば債務者がこれを採用することは全くありえなかったのである。債権者が、就職にあたってこのような重要な経歴詐称を行ない、これによる債務者の錯誤を利用して従業員たる地位を保持することは、債務者会社における労使間の信頼および企業秩序を破壊するものであるから、右経歴詐称の事実が明らかとなった以上、債務者が債権者を懲戒解雇によって企業外に排除するのは当然である。

(三)  本件の場合は、その事由に鑑みて解雇以外の懲戒処分を選択する余地はなく、しかも債務者は債権者に対して懲戒解雇前再度にわたり任意退職を勧告したにもかかわらず債権者がこれに応じなかったものであり、また債権者の採用から解雇にいたるまでの期間が一年にすぎない点を考えれば、本件懲戒解雇をもって解雇権の濫用と見る余地はない。

三、申請の理由第三項事実は認める。

疎明≪省略≫

理由

一、申請の理由第一項の事実ならびに債権者が高校卒業後昭和三九年四月神奈川大学法学部に入学し、同四三年三月これを卒業したこと、債権者は債務者の募集に応じて採用の面接を受けた際、身上調査表に右大学卒業の学歴を記入せず、その期間については父の家業である木箱の製造、修理を手伝っていた旨の職歴を記入して提出したことは、いずれも当事者間に争いがない。

二、≪証拠省略≫によれば、債務者会社においては、作業部門における従業員の編成、単純作業に対する耐性、転職の防止等の配慮から、作業員として、従来は中卒者のみを採用してきたが、中卒者の減少により昭和三九年六月以降は高卒者をも採用するにいたったものの、なお作業員として採用する者の学歴は右の程度に止め、大卒者を採用することは全く考えておらず、債権者の採用時においても、右の方針に従って、川崎工場の作業員を募集したものであるところ、債権者が前記のような身上調査表を提出したため、同人が高卒限りで進学せずその後は父の家業を手伝っていたものと誤信してこれを採用したが、もし債権者が大卒者であることをその際知りえたならば、これを採用しなかったはずであることが一応認められる。債務者会社における右のような作業員採用の方針も、いずれは労働状勢の変化によってこれを維持しえない時期が来るであろうが、現段階においては、これを一蓋に不合理なものとして排斥するわけにはいかない。

三、もっとも、≪証拠省略≫によれば、債務者は右募集の際、新聞広告においても、また採用の面接においても、採用者につき高卒以下という学歴の制限があることを明示しなかった事実が一応認められる。債務者が作業員の採用につき前認定のような厳格な学歴の制限をもって臨んでいたことに鑑みると、このような募集の仕方は、応募者に対していささか不親切のそしりを免れないが、工場労務に従事すべき作業員の募集といえば、その作業の性質、待遇等からみて一般に高卒以下の学歴を有する者の募集対象としているものと受け取るのが世間の常識であるから、債務者が債権者のように大学卒の学歴を有する者が応募してくることを予期して予め学歴に制限ある旨明示しなかったからとて、これを信義則に反するものとしてとがめるには当らないであろう。

他方において、債権者は、いやしくも債務者の正規の作業員(本工)となるべく応募したのであるから、募集広告に学歴の制限につき格別の表示がなかったにしても、自己学歴を偽りなく申告して、債務者がその採否を決するための資料に供すべきであった。このことは、わが国における一般の就職慣行に鑑みて就職希望者に要求される信義則上の義務であるといってよい。

四、しかるに債権者は、事ここに出でず、前示のように大学卒の学歴を記入しない身上調査表を提出したため、債務者がこれを誤信して債権者を採用するにいたったわけであるが、債務者において債権者の大学卒の学歴を知ればこれを採用しなかったことが明らかであり、しかもこれを一蓋に不合理として排斥できないことを前説示のとおりである以上、債権者の採用後にその大学卒の事実を債務者が知ったときは、債権者の就労前であれば採用を取り消し、またその就労後であればこれを解雇することを認めざるをえない。

この場合の解雇の根拠は、民法五七〇条を類推して(なお、同法六三〇条参照)条理上もこれを認めることができると考えるが、就業規則にその旨の規定があれば、これを根拠としてよく、本件の場合債務者の社員就業規則一八一条一六号、一八二条二号は、そのような規定と解せられるところ、債権者が採用に際して大学卒の学歴を記入しない身上調査表を提出したことは、同規則一八一条一六号にいわゆる「虚偽の履歴書を使用したとき」に該当するものというべきであるから本件解雇は規則上の根拠を有する有効なものと認定しなければならない。

五、ところで、右の就業規則によれば、同規則は虚偽の履歴書の使用を通常の解雇ではなく懲戒解雇の事由としており、本件解雇もこれにもとづいて懲戒解雇としてなされたものであることは、すでに見たとおりであるが、そもそも使用者の懲戒権は、雇傭契約上使用者が労働者に対して有する指揮命令権を実効あらしめるために認められるものであるから、雇傭関係発生前の行為である債権者の前記身上調査表提出の所為を対象にして債務者が懲戒権を行使することは本来認められるべきところではない。しかしながら、使用者が労働者の虚偽の申告を誤信して採用すべきでない者を採用し、後にその申告の虚偽であることを知った場合には、事柄の性質上解雇予告ないし解雇手当の支払なくしてただちに労働者を解雇しうるものと解すべきであるから、その意味においてこの場合の解雇を通常の解雇と区別し、解雇予告ないし解雇手当の支払なくしてただちに労働者を解雇しうる懲戒解雇に含めて取り扱うのも、あながち不当ともいえず、かつまたそのような取扱が一般の労働慣行ともなっているところであるから、右のような趣旨において債権者の就業規則の前記規定およびこれにもとづいてなされた本件懲戒解雇を是認してよいと考える。

六、債権者は解雇権の濫用を主張するが、債務者の前記作業員採用方針に照らして学歴を低く申告することもまた債務者の予期を裏切るものであることは明らかであり、また債権者は採用後解雇まで約一年一月間債務者の労務に従事したにすぎないのであるから、その間の勤務状態からしてただちに債権者が前記学歴を有するにもかかわらず債務者会社における作業員としての適格を具備しているものと判断するのも困難であり、結局債権者が掲げる事実をもってしては本件懲戒解雇を解雇権の濫用とするに足らず、他に解雇権の濫用と認めるべき事実も認められないので、債権者の右主張は採用することができない。

七、以上に認定した事実によれば、債権者の本件仮処分申請はその他の点を検討するまでもなく失当であるから、これを却下し、申請費用および審尋手続費用の負担につき民訴法八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 菅家要 裁判官 水田耕一 田村洋三)

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